16人でのスタート
1994年4月。それまで2年間見てきた少年団の子供達16名と設立。設立時の定期的な練習場所はごみ焼却場の空き地。まともなグランドは月に数回のみというお世辞にもかっこいい状態ではなく、ミニゲームのゴールはコーナーフラッグを立てただけのものでした。ゴールインの判定で「入った!」「いや、入ってない!」との口論がゲームを白熱させる要因になっていたのが懐かしい思い出の一つです。
サッカー連盟への登録
1年後、全員2年生となりクラブユースサッカー連盟に正式登録。晴れて公式戦を戦える準備を整えました。初年度は敵となるチームは全て1学年上ですから当然連敗続きで、ひたすら翌年に向けての経験作りの連続でした。又、この年から合宿にも行き始め本格的な県外チームとの対戦、交流が始まりました。技術にのっとったパスサッカーを目指す指導方針が、どの程度多様なチームに通用するか試す機会も増えて来ました。
第1期生が3年生に、そして初のタイトル
2年後、全員3年生となりいよいよ通産4年間の集大成の年を迎えました。その頃になると、あるチームの方から「繋ぐプリメイロのサッカー」などと評価も頂くなど狙った方向性と結果は一致していると安心し自信も生まれ、後は公式戦でどれだけ結果をだせるかのみとなりました。選手も他の少年団出身者も加わり30数名に増加していました。
クラブ間の戦いはハードで厳しく、勝利を勝ち取るのは簡単ではなかったが、一次リーグを抜け二次リーグに上がる力はついて来ていた。そんな折、中学校の先生から依頼された上尾市の大会に富士見市中学生代表で参加する事になった。12チームの大会で、富士見中学選抜の代理参加ではあったが当然目標は優勝であり、結果それは達成できた。この事で地元での認知度が飛躍的に向上し富士見市サッカー協会への登録も認められる事となった。少年団時代はメダルやトロフィーを幾つも一緒に貰った子供達もこの年代では初のトロフィー獲得だったので嬉しく、その笑顔は今でも浮かんでくる。
ベスト4をかけた戦い
最後の大会を秋に向かえ決勝トーナメントに進んだ。ベスト4を賭けた強敵狭山FCとの対戦は果敢に戦い、後5分我慢すれば勝利を物にし、4強になれたのだが惜しくも延長で力尽きベスト8で3年間を終えた。しかし、設立3年でベスト8は誇れるものと父兄共々涙と共に胸も張った。そんな毎年が瞬く間に過ぎて行き、夏の合宿では関東を飛び出し、静岡遠征が定番となり、ジュビロ磐田などの強豪とも対戦する機会も持てるようになってきた。
設立10年を向けて新たな展開へ
設立10年を迎えるとクラブの保有選手数も70人を超え、自転車参加から車で通う者が出たり、中には電車で通う者も出始めたりとスケールは10年前とは比較にならないものとなる。そして、10周年記念としてついに日本を飛びだしスペインに遠征をした。レアルのスタジアム、レアルのスーパースター達と握手やサインをし、プロチーム、ラシンの下部組織との対戦も経験した。以後、アルゼンチン、ブラジルと海外遠征は続いた。そして、2007年。U-12のスクールスタートと新たな展開を模索中である。
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